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熊本地震が示した日本の自動車産業の影響力の大きさ

トヨタ自動車などの自動車メーカーが熊本地震によって一時生産を停止したことについて、中国では改めて日本の自動車産業の影響力の大きさに注目が集まった。

中国メディアの今日頭条はこのほど、熊本地震が熊本、大分両県を中心に大きな被害をもたらしたことを指摘しつつ、日本の自動車メーカーも大きな影響を受けたと紹介。続けて、中国国内で生産されている自動車にも多くの日本企業の部品が搭載されていることを指摘、九州で発生した地震の影響が世界の自動車業界に波及したと伝えた。 記事は、熊本地震によって一時的に自動車関連メーカーは生産停止に追い込まれたと指摘したうえで、東日本大震災の時と同様に地震災害が自動車業界のサプライチェーンを寸断したと指摘した。 さらに、メーカーの生産停止は連鎖反応を招く恐れがあると指摘し、中国の自動車メーカーを含め、日本メーカーから部品を調達している世界中の企業にとって、いまだ完全に収束したか不明な熊本地震は懸念事項であることを伝えている。

また、中国メディアの選車網は「東日本大震災の時と同様に、日本の自動車産業がジャストインタイム生産のもとで緊密に結びつく構造の弊害が地震で露わになった」と伝え、中国においても日本からの輸入車の価格が上昇する可能性があると伝えた。
サーチナ
http://news.searchina.net/id/1608169?page=1


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【管理人 補足記事&コメント】
九州における自動車生産は、福岡県苅田町への日産自動車による九州工場の立ち上げが嚆矢となった。かつて四大工業地帯のひとつに数えられた北九州は、70年代になると重厚長大型産業が斜陽を迎え、加工型産業への転換が求められた。北九州では日産の「里帰り」を熱望、これを受けて日産は73年、九州工場の建設を決定、75年にエンジン工場としての操業を開始した。この日産進出を契機に系列の1次部品メーカーなどの進出もあり、九州における第1次自動車産業ブームが起こった。

その後、91年にトヨタ九州が設立され、福岡県宮田町(現宮若市)での生産を92年から開始した。筑豊の一角にある宮田町は、明治中期に石炭採掘が開始して以来、長年にわたり産炭地として栄えてきた。炭鉱閉山後、宮田町では九州自動車道若宮インター近くに工業団地を造成する。豊富な労働力や交通の利便性に加えて、旧産炭地の振興を目的に設けられた各種基金で企業の進出コストを抑えることができ、新たな産業誘致に成功した。トヨタ九州が生産を立ち上げた同じ年に日産九州工場も第2工場を建設、年産53万台へと倍増させ、第2次自動車産業ブームとなった。

現在では全国の自動車生産の約1割を九州が占める九州が、なぜ、カーアイランドになったのか?
自動車産業は、多くの人手を必要とする労働集約型の業態といえる。トヨタが本拠地を構える愛知県などでは、求人数が求職者数を大きく上回る、いわゆる「人手不足」の状況にある。これに対し北部九州は、失業率などをもとに推測すると、労働力に余裕のあり、特に若い働き手を確保しやすい地域といえる。このことが、自動車メーカーが新たな進出地を選ぶ上で優位になったと考えられる。

福岡県の場合を例にとると、32の大学があり、うち理工系学部を有する大学は13にのぼり、理工系の国立大学生数は全国2位となっている。また、福岡県内には3つの国立工業専門学校、23の工業系高校があり、毎年多くの若い人材を供給することが可能だ。九州進出を決めたトヨタの場合、全従業員の2割ないし3割が九州出身者で占められているといわれている。事実、トヨタ本体が91年秋、トヨタ九州への転籍希望者を募ったところ、2200人の九州出身者が応じた。このなかから選ばれた約700人がトヨタ九州に赴任、宮田工場での生産を立ち上げていく上で大きな戦力になった。

歴史的にみても北部九州には鉄鋼に始まるモノづくり文化があった。日産自動車のルーツも九州である、日産コンツェルンを築いた鮎川義介が北九州に創業した戸畑鋳物(現日立金属)が1933年でダット自動車を吸収した。その後、戸畑鋳物は日本産業との共同出資で自動車製造という会社を設立し、翌年に日産自動車と改称した。もともと4大工業地帯のひとつだった北九州には独自の技術をもとに業界のトップシェアを持つ企業も多い。自動車産業でも多数採用されている産業用ロボットの大手メーカーである安川電機、トイレ・バス・キッチンなどの住宅設備機器のTOTOなどが本社工場を構えており、このような大手メーカーとの取引関係を通じて、独自の技術を培ってきた中小企業が、数多く存在した。

「なぜ、九州が一大自動車生産拠点になったのか」、は、豊富な質の高い労働力をはじめ、広大な工場建設を可能な土地や港湾・道路などのインフラ、モノづくりの文化、リスク回避を含めた各メーカーの企業戦略といえる。



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[ 2016年04月25日 10:16 ] カテゴリ:日本経済 | TB(0) | CM(0)
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