韓国経済.com

韓国経済を中心に北朝鮮・中国・台湾・日本そしてアメリカの経済状況を説明するサイトです。
韓国経済 韓国社会 韓国政治 日本経済 日本社会 日本政治
韓国経済.com TOP  >  韓国政治 >  費用がなくフランスに行けなかった朴正熙大統領、11月に娘が…!

費用がなくフランスに行けなかった朴正熙大統領、11月に娘が…!

2013-10-31-k022.jpg

(上)1961年6月、朴正熙国家再建最高会議副議長(右)がシャンボール初代駐韓フランス大使(右から2人目)らフランス政府関係者と歓談している。59年から69年まで駐韓フランス大使を務めたシャンボール大使は遺言により陜川の海印寺に安置された。(写真=中央フォト)。(下)1961年完工当時の駐韓フランス大使館の建物。シャンボール初代フランス大使所蔵の写真。

1964年12月、朴正熙(パク・ジョンヒ)元大統領は韓国大統領では初めて欧州を訪問した。ドイツとフランス・エジプトを訪問する予定だったが、ドイツにしか行けなかった。費用の問題のためだ。当時は大統領専用機がなく、海外歴訪が難しかった時期だ。

政府は欧州歴訪のため旅客機を1週間チャーターしようとしたが、50万ドルという費用が負担になった。結局、ドイツ政府が東京-独ボンを運航したルフトハンザ航空機をソウルに臨時寄着させ、朴元大統領のドイツ訪問が実現した。

スポンサードリンク
青瓦台(チョンワデ、大統領府)はプライドが高いと知られるド・ゴール大統領に、韓国がドイツよりフランスを敬遠するという印象を与えないよう、ボンで開くことにしていた欧州公館長会議をパリに移すことまで検討したが、結局、費用の問題で実現しなかった。ドイツが提供した飛行機でフランスとエジプトまで訪問することはできないと判断したからだ。

第7代大統領選挙を3カ月後に控えた71年、朴元大統領は再びフランス訪問を推進した。青瓦台はマックス駐韓フランス大使と接触し、3月中のフランス公式訪問を打診した。当時、韓国はフランスのアジア3番目の貿易国だった。学生の80%が第2外国語にフランス語を選択するほど両国関係は近かった。

しかし今回も訪問は実現しなかった。フランス政府は4月に予定された韓国の大統領選挙が目前だという点に負担を感じていたうえ、朴大統領のライバルだった金大中(キム・デジュン)新民党候補がフランス訪問を予定していた点が影響を及ぼした。結局、朴元大統領は18年間の在任期間、フランスを一度も訪問できなかった。

このような外交秘史は、ある公務員がフランスの外交文書を探して確認された。チョン・サンチョン統一部南北協力地区発展企画団チーム長(50)がその主人公だ。チョン氏はフランス・韓国外交資料に基づいて出した『ナポレオンも知らない韓・仏の話(副題:フランス外交資料で見た韓仏関係秘事)』という本にこうした内容を書いている。

外交部で15年間勤務したチョン氏は外圭章閣図書の返還に寄与したフランス通だ。この本は、パリ留学(94、95年)と博士課程(2000年)期間中にフランス外交部の古文書室に通いながら外交文書を研究した内容が基盤となっている。チョン氏は約3200ページのフランス外交資料をコピーしてきたという。

この本によると、朴正熙元大統領のフランスに対する憧れと愛情は特別だった。幼い頃に耽読したナポレオンの伝記の影響で将軍に憧れた朴元大統領は、第1・2次世界大戦に参戦したド・ゴール仏大統領に特別に好感を抱いたという。核再処理技術を導入するため73年にフランスと原子力技術協力協定を締結した点、八堂ダム建設にフランス資本を導入したのもそのためだった。

朴元大統領は長女の朴槿恵(パク・クネ)大統領にフランス語を習わせた。当時の外交文書を見ると、朴元大統領は71年4月19日、マックス駐韓フランス大使を招請して会談し、「幼い頃、日本人の先生の意に反してフランスの歴史を勉強した」と回顧した。そして「長女(朴槿恵大統領)にフランス語を習わせた」と話した。韓仏文化交流が必要だという言及をしながらだ。

こうした影響のためか、朴槿恵大統領は74年、西江大卒業後に教授になるという夢を抱いてフランス留学に行ったが、母(陸英修)の逝去で6カ月で帰国した。今年11月、朴槿恵大統領はフランスを公式訪問する。父の「叶わなかった夢」を娘が果たすことになったのだ。

韓国を愛して慶尚南道陜川の海印寺に安置されたシャンボール駐韓フランス大使の話も興味深い。光復(解放)後、初代駐韓大使を59年から10年間務めたシャンボール大使は朴正熙元大統領と親しかった。シャンボール大使は朴元大統領のフランス訪問を推進した実務者であり、八堂ダム水力発電所にフランス資本と技術を引き込んだ張本人だ。シャンボール大使は「私が死亡すれば火葬して海印寺にまいてほしい」という遺言を残し、82年に死去した後、海印寺の山の斜面に埋葬された。シャンボール大使の孫のオリヴィエ・シャンボールもフランス外務省のアフリカ・インド洋担当副局長として勤務中で、次期フランス大使に挙がっている。

そのほかにもこの本には初めて公開される内容が多い。▼乙巳条約の不当性を知らせようとフランス政府に書簡を送った安東郡守クォン・ジェジュン▼忘れられたパリの独立活動家ソ・ヨンヘ▼パリ駐在北朝鮮民間貿易代表部設立--などの内容は、著者がフランスの資料を通じて初めて公開する内容だ。

http://japanese.joins.com/article/764/177764.html?servcode=200§code=200


関連記事

[ 2013年10月31日 19:18 ] カテゴリ:韓国政治 | TB(0) | CM(0)
コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
この記事のトラックバックURL

スポンサードリンク
月別アーカイブ
サイト内をキーワードや文書で検索
お問い合わせ

お問い合わせ
管理人 MON
連絡先 monma@asahinet.jp