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マッカーサー死後50年、米国で再評価の動き

韓国で、故ダグラス・マッカーサー元帥(写真)は「仁川上陸作戦で6・25戦争(朝鮮戦争)の動向を一挙にひっくり返した名将」と評価されている。しかし米国では、独立戦争のとき英国軍に寝返ったベネディクト・アーノルド将軍よりも評価が低く、世論調査で「歴代最悪の指揮官」に挙げられることもある。米国におけるこうした評価は、誤解と無知、偏見が原因という主張が登場した。 軍事専門の作家マーク・ペリー氏は、26日付の政治専門誌『ポリティコ』に寄稿した記事で「マッカーサーは太平洋戦争を勝利に導いた現代戦の達人で、日本に民主主義を導入した立派な指揮官だったが、独特の個性とミスのために低く評価されている。死後50年を迎え、今こそ再評価すべき」と主張した。ペリー氏は最近、マッカーサーに関するエピソードを取り上げた著書『米国で最も危険な男』(原題:『The Most Dangerous Man in America: The Making of Douglas MacArthur』)を出版した。

ペリー氏は、マッカーサーについて米国人が持っている最大の誤解は、ルーズベルト大統領との関係だと主張した。ほとんどの歴史家は、ルーズベルトがマッカーサーの政治的野心をけん制し、マッカーサーもルーズベルトを白眼視していたと記すが、事実はそうではないという。ルーズベルトがマッカーサーを「米国で最も危険な男」と呼んだのは事実だが、同時にルーズベルトは側近に対し「マッカーサーをうまく手なずけて活用しなければ」と語っており、実際、ルーズベルトはマッカーサーを陸軍参謀総長に任命した。1930年代末にフィリピン勤務を命じたのは、英国・オーストラリアの首相と協議し、どうしても必要な人物ということで派遣したのであって、米国に戻れなくしようとしていたわけではなかった。ルーズベルトは、マッカーサーが日本やアジアをよく理解している指揮官だという点を高く評価し、日本との戦争に備えたのだ。

http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/05/28/2014052801093.html

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ダグラス・マッカーサー

ダグラス・マッカーサー(英: Douglas MacArthur、1880年1月26日 - 1964年4月5日)は、アメリカの軍人、陸軍元帥。第二次世界大戦後に日本を占領した連合国軍の最高司令官や、アメリカの植民地のフィリピンの高等弁務官などを務めた。

陸軍参謀総長

1930年、アメリカ陸軍最年少で参謀総長に就任した。このポストは大将職であるため、少将から中将を経ずに、一時的に大将に昇進した。1933年から副官には、後の大統領ドワイト・D・アイゼンハワーが付いた。

1932年に、退役軍人の団体が恩給前払いを求めてワシントンD.C.に居座った事件(ボーナスアーミー)で、陸軍による武力排除が行われた。これは、「退役軍人たちは、共産党の支援を受けてデモを起こしたのではないか」と疑念を抱いた政府が、マッカーサーの計画案を許可して行われたものである。マッカーサー自身も共産主義を徹底的に嫌っていた。

フランクリン・ルーズベルト大統領は不況対策と称して軍事予算削減の方針であったが、マッカーサーは「共産主義者の陰謀である」と考え、大統領をあからさまに批判した事で大統領の怒りを買った。

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退任演説を行うマッカーサー

メルボルンから東京までは長い道のりだった。長い長い困難な道だった。しかしこれで万事終わったようだ。各地域における日本軍の降伏は予定通り進捗し、外郭地区においても戦闘はほとんど終熄し、日本軍は続々降伏している。この地区(関東)においては日本兵多数が武装を解かれ、それぞれ復員をみた。日本側は非常に誠意を以てことに当たっているやうで、報復や不必要な流血の惨を見ることなく無事完了するであらうことを期待する

— 朝日新聞(1945年8月31)

なおマッカーサーは、インフラストラクチャーが貧弱な上に、戦争により破壊された朝鮮半島に留まることを嫌い、その後も暮らし慣れた東京を拠点とし戦線に向かい、朝鮮半島に一時滞在するものの日帰りで東京へ戻るという指揮形態を繰り返した。これらの行動は現状を理解する妨げとなり、状勢判断を誤り、後に成立間もない中華人民共和国の人民解放軍参戦を招く一因ともなった。

1951年4月19日、ワシントンD.C.の上下院の合同会議に出席したマッカーサーは、退任演説を行った。最後に、ウェストポイント陸軍士官学校に自身が在籍していた当時(19世紀末)、兵士の間で流行していた風刺歌のフレーズを引用して、「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」[10]と述べ、有名になった。

【管理人コメント】

再評価の動きで最悪の指揮官という評価から最高の指揮官として名誉を回復するのだろうか?



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[ 2014年05月28日 11:43 ] カテゴリ:国際 | TB(0) | CM(1)
再評価にともない、マッカーサーが、日本は侵略を目的とした戦争を起こしたのではなく まさに自営のための戦争だったと述べていることなどが広く知られることを願う。また朝鮮併合も状況からしてやむを得なかったとも、述べている。当時アメリカは共産主義、中国を、舐めてかかっていた。油断したところに朝鮮戦争も起こったのだし。マッカーサーは日本の戦争意義を知る男だ。
[ 2014/05/28 12:24 ] [ 編集 ]
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