韓国経済.com

韓国経済を中心に北朝鮮・中国・台湾・日本そしてアメリカの経済状況を説明するサイトです。
韓国経済 韓国社会 韓国政治 日本経済 日本社会 日本政治
韓国経済.com TOP  >  日本経済 >  孫正義 長者日本一への⑦決断「若くても、資本がなくてもNO1になるには…」!!

孫正義 長者日本一への⑦決断「若くても、資本がなくてもNO1になるには…」!!

2011-09-27-mago.jpg

「コンピュータ業界」を選ぶまでの沈思黙考500日!

学生時代に1日1発明を自分に課した孫正義氏が1980年代初頭に実社会に出てまず行ったのは、一生を捧げる業界の選択だった。驚異の探究心で各業種を1年以上かけ研究。結果導き出された「コンピュータ業界」の土俵で、総資産6800億円、年収93億円という長者日本一への道を猛進していく─。

「メダカの子」か「鯛の子」か

孫正義は、1980年3月、カリフォルニア大学バークレー校を卒業すると同時に、日本に帰った。

福岡市内の古いビルの二階に、企画会社としてユニソン・ワールドという社名で事務所を構えた。

会社を登記する時、自分の名前を「孫正義」と書き込んだ。それまでの日本姓である「安本」を捨て、代々伝わる韓国名の「孫」姓を名乗る決意をしたのである。

親戚たちは、懸命に止めた。

「正義よ、お前は、まだ子どもだからわからないんだ。学生上がりで、世の中ってもんがわかっていない。韓国名の孫の名前で出ることが、どれだけのちのち苦しむことになるのか‥‥。悪いことは言わん。安本の名前で行け」

孫は、耳を貸そうとはしなかった。

「ぼくは、みなさんのように苦しい体験をしていないから、確かにわからないところがあるかもしれない。しかし、ぼくの人生です。どんなにつらいことがあったとしても、それはそれでいい。そんなコソコソ隠すような人生は、ぼくには合いません」

「そんなきれいごと言っても、実際には銀行が金を貸してくれなかったり、お客や社員がとりにくくなるんだぞ」

「いや、国籍の違いで離れていくような人は、むしろ自分が後で恥ずかしい思いをするんだ。ぼくから言わせれば、そういう人たちのほうがかわいそうな人ですよ。物事の本質を見られない人間ですからね」

孫にとって大きな決断であった。

〈問題は、どの土俵を選ぶかだ。一度選んだらこれから何十年も闘わねばならないのだ。その土俵選びのためなら、1年かけても2年かけてもいい〉

孫は、自分のスタートにもっともこだわっていた。

〈メダカの子どもで生まれるか鯛の子どもで生まれるか。それとも鯨の子どもで生まれるか。同じ子どもでも、何の子どもで生まれるかで、成長したときの大きさは大抵決まってしまう。確率論から言えばそうなる。もしも、規模が小さく、てっとり早い業種から始めれば、10年先、20年先はかならず頭打ちになる。そのたびに業種を替えていかなければならない〉

孫は、土俵を選ぶための条件をまずノートに書き出してみた。

「儲かる」

「ビジネスにやりがいがある」

「構造的に業界が伸びていく」

「資本がそれほどなくていい」

「若くてもできる」

「将来の企業グループの中核になる」

「自分自身やりがいを感じる」

「ユニークである」

「日本一になりうる」

「人を幸せにできる」

「世界中に拡大できる」

「進化を味方にできる」

その数は、25項目にも及んだ。

孫は、ひとつひとつの要因に指数をつけた。例えば「新しさ」の指数は20点満点。「世の中の役に立つ」は50点満点。「小さい資本でできる」が30点満点というようにしながら、眼をつけたバイオテクノロジーや光通信、ハードウエアの販売といった40もの新しい事業の切り口を持った事業プランに点数をつけていった。総合点がもっとも大きいものに一生を捧げるつもりだった。

アルバイト社員の2人には、いつも熱っぽく語っていた。

「おれは、5年で100億円、10年で500億円、いずれは何兆円規模の会社にしてみせる」

孫は、40もの事業アイデアひとつひとつに対しての資料を膨大に集めた。スタートから10年間のビジネスプランを作り、予想損益計算書、予想バランスシート(貸借対照表)、予想資金繰り表、予想人員計画、マーケティングプラン、競合分析、市場規模の大きさ‥‥まさにしらみ潰しに調べた。自分なりの新しい切り口で、圧倒的なナンバーワンになれる決定要因を考え抜いた。

最初から大きく打って出る

これはと思う業種はいくつかあった。

コンピュータのハード会社、ソフト制作会社、貿易会社、病院のチェーン、情報関係の出版社‥‥。

どの会社をとっても、自分の切り口は新しく、かならずや成功するに違いないと踏んでいた。

孫は、1年半ものあいだ、しらみ潰しに調べた結果、自分の掲げた条件にもっとも合っているのはコンピュータ業界だとにらんだ。孫は確信していた。〈マイクロプロセッサが与える革命的影響は、まずひとりひとりが使うパーソナルコンピュータという形で始まる。そこからだんだん広がっていく〉

孫は、創業前からデジタル情報革命のインフラを押さえることを目指した。

まずは、個人的レベルで使われているパソコンにもっとも必要なソフトウエアの流通からはじめよう。

〈日本全国にパソコンソフトの制作会社は数十社ある。ソフトの小売店は数百店を超える。それなのに、メーカーと小売店を仲介する本格的な卸業者は、まだ日本で発達していない。これはいけるぞ!〉

同じソフトでも最終的にはあらゆるソフト、あらゆるデジタルコンテンツに入っていくが、とりあえずは圧倒的に数の多いゲームソフトに絞ることに決めた。

孫は、81年の夏に東京に進出した。社名を「日本ソフトバンク」とした。

孫は、ソフトウエア流通をやるにしても、ソフト制作会社を取引相手として揃えておかなければならないと考えていた。そして、販売網も持っていなければソフトは集まらない。しかも、自分たちが間に入ることによってソフト制作会社にもメリットがなければならない。規模のメリットを出さなければ、自分が直接小売店に出せばいいということになる。ニワトリと卵、どちらが先かという生物学的な命題のようなジレンマをどうして突き破っていくか。どうやってこの業界に名乗りをあげるか。

〈チマチマやっても仕方がない。最初から大きく打って出るんだ〉

孫は、そんなある日、エレクトロニクスショーという家電・エレクトロニクス業界の展示会が近く開かれることを耳にした。

孫は、資本金1000万円のうち、800万円を投じて出展する覚悟を決めた。孫は、展示会に大きなブースを借りた。松下、ソニーの出展規模とほぼ変わらない大きさだった。

(wowokorea)



★孫正義 奇跡のプレゼン 人を動かす23の法則 の詳細はこちら!



[ 2012年08月28日 11:20 ] カテゴリ:日本経済 | TB(0) | CM(0)
コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
この記事のトラックバックURL

スポンサードリンク
月別アーカイブ
サイト内をキーワードや文書で検索
お問い合わせ

お問い合わせ
管理人 MON
連絡先 monma@asahinet.jp