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元航空機エンジニアが育てた日本繊維産業と自動車産業

南の繰糸所(そうしじょ)は繭から一定の太さの糸を巻き上げる工場で、7個程度の煮繭から細い糸を多本撚り上げて一本の糸にする。この繰糸所に「ニッサンHR型自動繰糸機」がどんと7台近く設置されていた(写真1下)。ニッサンとはあの自動車メーカーの日産自動車である。トヨタ自動車は豊田佐吉が自動織機を発明し、その後自動車産業を長男喜一郎が育て上げた事で繊維産業との関係は当初からあったが、ダットサンの愛称で知られる自動車メーカーが何故繭から生糸を作る設備を作っていたかと不思議であったが、その沿革を知ることで理解ができた。

日産自動車は昭和41年(1966年)にプリンス自動車と合併した。このプリンス自動車は大正14年(1925年)設立の立川飛行機で前身は陸軍戦闘機「隼」を開発した石川島飛行機製作所である。戦闘機「隼」の量産は立川が行っていた。戦後、GHQより航空機開発は一切禁止され、昭和22年(1947年)には東京電気自動車と改名して電気自動車開発と平和産業事業として製糸技術に着目して「自動繰糸機」の開発に着手した。

昭和24年(1949年)には「たま自動電気自動車」と改名、1回の充電で100km走る電気自動車を販売した(写真2)。現在、日産自動車は電気自動車(e-Power)を製造販売しているが、原点は「たま電気自動車」にあった。昭和27年(1952年)には「プリンス自動車工業」と改名し、スカイライン・グロリアなどの名車を世に出した。昭和24年頃、蚕糸業界は官民一体となって「繰糸機」の自動機開発にやっきになっており、たま自動車では“たま4型”自動繰糸機から“たま10C”型自動繰糸機を開発した。

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プリンス自動車が日産自動車と合併した昭和41年以降も自動繰糸機の開発は続き、昭和46年(1971年)には世界一性能の設備「ニッサンHR-2型自動繰糸機」が世に出され、全世界に出荷され、国内シェア50%を占めるに至った。明治5年にフランス技術でスタートした日本製糸業はついには、当時の先進国であったフランス・イタリアに最新技術を里帰りさせるに至った(高林千幸「自動車メーカーによる自動繰糸機の開発」)。
https://www.recordchina.co.jp/b829098-s134-c30-d1134.html

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明治時代、日本から輸出される生糸の中には質が悪く、外国からは質を良 くすることを求められた。そこで、国は富岡製糸場を作って西洋から器械製糸技術を学び、その技術を全国に広ひろめ、品質のよい生糸を大量に輸出しようと考えた。富岡製糸場は1872(明治5)年にフランスの協力で完成し、器械製糸工場の手本になった。

富岡製糸場は、群馬県富岡に設立された日本初の本格的な器械製糸の工場で、1872年(明治5年)の開業当時の繰糸所、繭倉庫などが現存している。製糸場の中心をなす繰糸所は繰糸器300釜を擁した巨大建造物であり、フランスやイタリアの製糸工場ですら繰糸器は150釜程度までが一般的とされていた時代にあって、世界最大級の規模を持っていた。また、特徴的なのは揚返器156窓も備えていた。

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[ 2020年08月27日 08:56 ] カテゴリ:日本経済 | TB(0) | CM(0)
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