日中の道徳観念…“なぜ差がついた”と嘆く中国人!

日本人のマナーの良さや高い民度は中国でも広く知られている。一方で、自国民の低すぎる民度を嘆く中国人も多く、中国人ブロガーの我是宝宝説(ハンドルネーム)さんも、自身のブログに“横断歩道を渡る子どものGIF画像”を掲載し、日中の道徳やマナーの違いについて語っている。
筆者が掲載しているGIF画像は、日本のどこにでもいる小学生たちの行動を撮影したものだ。青信号で横断歩道を渡った小学生らが信号で止まっていた車に向かってお辞儀(じぎ)をして礼するもので、中国のネット上では「礼儀正しい!」と話題になった。
筆者は「東京ではこうした光景は普通に見られる。でもこれを中国でやったらどうなるか?」と問いかけている。筆者によれば、中国で動画の小学生のような行動を取れば“ひんしゅくを買う”らしく、クラクションが鳴り止まなくなる可能性もあるという。なかなか理解し難いが、“礼など不要だから早く立ち去れ”という意味だろうか。
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実際、中国のある実験によれば、子どもが道を横断しようとしたときに停車して道を譲った車は9分間でわずか3台しかなかったという。3分間に1台しか止まらない計算だが、道を譲った自動車は後続車両からクラクションを鳴らされたであろうことは想像に難くない。
日本人と中国人は外見こそ似ているが、内面はまったくと言って良いほど違っている。筆者はなぜ日本と中国の道徳観念が大きく異なるのか理由が見いだせないようで、「日本の礼儀の文化は中国から伝わったはずなのに、なぜこうも差が出てしまったのか?」と問いかけた。(編集担当:畠山栄)
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2013&d=1030&f=national_1030_068.shtml
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何故なら真とは幾度もの点検の…努力の先に在る物。
逆に「絶対と言う縛り」をかけ、点検させない環境でなければ、ご都合主義は存続できない。そして点検させない縛りは陰を作る。陰は隠れ家になる。隠れ家には「嘘付き」が住み着く。太古からの道理である。嘘つきは太古から社会に害をなして来たのも道理である。
真が軸になれば、例え嫌いな者の作品でも、良い物は良いとなる。詰まり熟慮が生まれ奥行きができ、生きれるスペースが誕生する。これは熟慮から配慮、そして思いやりに繋がり、民度に繋がっていく。
ご都合主義は真偽の「偽」を軸としている。都合に合わなければ粛清するのだ。それが例え真実でも、例え良い物でも…。正義でも…である。逆に都合に合えば、嘘でも珍重されるのである。愛国無罪等と表現してるが、これは、民族を個人と捉えれば、己の事しか考えない人間と同じ事なのである。
そもそも人間と獣の違いは思いやりと言える。その高さが人格。人格の集まりが民度。詰まり民度とは、「民族の思いやり方の度合い」の事である。
中韓が世界に於ける民度問題で混乱しているが、民度を上げる事は簡単と言える。社会の軸を「偽」から「真」にするだけで上がるのである。
何故なら…真を軸とした社会では、それを中心に回る。権力者の視線を気にせずに邁進できる。己の道を力強く歩める背景には、真と照らし合わせながら正しく歩んだ自信がそうさせてくれる。例え権力者と対峙しても堂々と出来るのである。これらは、様々な方向への、文化が華開く事に繋がっている。更に真を極めんとする研鑽に繋がり、更に真の軸を強化する事に繋がっている。
強いからこそ、それに見合う「思いやり」が求められるのである。
民度が高さとは、形成している社会の、真の軸の太さと言える。
民度が高い程、真実は重要視され、民度が低い程、捏造や嘘が多用される。
日本文化が豊かとはそこに起因している。