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「大和の科学技術は戦後花開く」 広島・大和ミュージアムの相原さん講演

戦後70年の節目に平和の大切さを学んでもらおうと、特別企画「零戦(れいせん)と戦艦大和講演会」(産経新聞社など主催)が27日、大阪市北区の市中央公会堂で開かれた。広島県呉市の大和ミュージアム統括、相原謙次さん(60)が、戦艦大和の造られた経緯などについて、資料を示しながら講演。「大和に結集された技術は戦後さまざまな分野で花開き、高度経済成長を支えた。志を持って日本を守ろうとした技術者や乗組員の思いを後世まで伝えたい」と訴えた。

相原さんのほか、戦闘機「零戦」と「紫電改」の元パイロット、笠井智一さん(89)=兵庫県伊丹市=が講演した。相原さんは、呉市が軍艦製造の中心地として栄えた歴史をスクリーンで写真を示しながら解説。「資金力の豊富なアメリカの戦艦よりも、大和の主砲は大きかった。水平線に敵艦のマストが見えれば、距離を計測して正確に各砲塔から42キロ先まで砲撃できた」と大和の高い技術力を強調した。

九州沖に沈む大和の調査など、元乗組員らの活動についても紹介。昭和60年に、船首にある菊の紋章を発見した際の映像など貴重な資料も示した。戦後、造船業だけでなく、製鋼やカメラなどさまざまな分野に活用された大和の技術について、「大和は日本の科学技術とものづくりの結晶として生まれた。性能を発揮する機会はあまりなかったが、技術は戦後花開いた」と締めくくった。

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一方、笠井さんはフィリピンや沖縄での空中戦を振り返り、零戦と紫電改の性能の違いなどを実体験もまじえて講演。自身が搭乗した零戦の垂直尾翼の破片を示し、「17、18歳の若者が国を守るため、こんなペラペラの飛行機で愛する妻子や兄弟をのこして一生懸命戦った。先人たちへの感謝と慰霊の気持ちを後世へ伝えたい」と訴えた。会場では、戦争体験者や遺族ら約850人が時折涙を流しながら講演に聞き入った。フィリピン沖の海戦で父を失った奈良県御所市遺族会会長、杉村保幸さん(71)は「今日の平和があるのは、多くの亡くなった人たちのおかげ。のこされた人はつらい。二度と戦争はしてはいけない」と話していた。
産経ニュース
http://www.sankei.com/west/news/150328/wst1503280023-n1.html

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大和型戦艦の艦型の母体となったのはYourkevitch船型である。艦型試験を繰り返しこれを軍令部の要求した戦艦向きに仕立て上げる事で大和型の艦体が計画された。竜骨下端から最上甲板舷側までの深さは18.965mで、10層の甲板が重なっている。構造は、最上甲板、上甲板、中甲板、下甲板、最下甲板、第一船倉甲板、第二船倉甲板、船倉甲板、艦底(二重底)となっている。牧野茂(大和型設計者の一人)は「大和型戦艦は一見平甲板に見えるが、実質的には最上型重巡洋艦の形状といえなくもない。大和の中央切断面は最上と非常に似ている」と評した。

日本艦艇では翔鶴型航空母艦に次いで球状艦首(バルバス・バウ)を採用した。これは、船体が水を押しのける時の波と球状艦首が作った波が相互干渉して、造波抵抗を減衰させる効果を持つ。これを採用した事で、有効馬力で速力27ノット時で8.2%程度の抵抗を減らし、排水量換算で約300t、水線長で3m艦体を短くする効果を得た。これは、軸馬力に換算すると11,000馬力出力が大きい機関を搭載したのと同じ効果をもたらした。さらに、シャフトブラケットの船体取付角度、ビルジキールの船体取付位置と角度を検討した結果、バルバス・バウの効果と併せて15,820馬力の節約となった。

戦争初期に前線に投入しなかったと言う批判

日本海軍は大和型戦艦を戦艦部隊の中核として位置付け、艦隊決戦のために温存する方針であり、開戦当初は機動部隊護衛に用いることは考慮していなかった。戦艦の使用は主砲火力の発揮できる決戦局面で行うべき、というのは当時の日本には「現実的」な判断だったとされるが、平間洋一はミッドウェー海戦ではこれらの判断が裏目に出たことを批判的に指摘している。大和型戦艦の無線送信能力は、軍令部より500浬を要求されており、鐘楼やマストも空母より高い位置に展張出来、通信能力に優れていた。またミッドウェー海戦時には連合艦隊旗艦であったために、優秀な通信班を乗せていた。平間によれば、作戦前の研究会にて、この点に着目し、赤城と共に行動させるべきという意見が出ていたと言う。実際海戦中、大和が傍受し、南雲機動部隊が傍受できなかった敵機動部隊の呼び出し符丁があった。こうしたことから大和が機動部隊の護衛部隊として行動を共にしていれば、傍受した敵機動部隊の呼び出し符丁らしき通信を、視覚信号で直ちに通報し、敵機動部隊の存在をより早く察知出来たのではないかと指摘している。 ただし、他戦艦との通信能力は大差はない。南雲艦隊には戦艦金剛、比叡も存在したため、第一艦隊が「当然南雲艦隊も傍受しているだろうから、無線封鎖を解く危険を冒す必要はない」と判断したことは無理からぬことである。

上記のように戦艦の性能上重要となる搭載砲のプラットフォームとしての安定性においては、大和型戦艦は最高レベルと思われるが、反面、機関や燃料消費量も絡んでくるので、ガダルカナルの戦いで活躍できなかったのも、こういったことや、金剛型に比べ、消費量が多かったことも災いしたとされる。一方、単に機動部隊の護衛として用いた場合は、大和型を含む日本艦艇の対空火力はそれほど強力ではないため、例えば重巡洋艦に比較して有効性は期待できないという見方もある(戦艦という目立つ目標に敵機が誘引される可能性はある)[要出典]。また、膨大な燃料消費率により、恒常的にタンカー不足に悩む日本海軍のお荷物になったといわれる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/

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【管理人コメント】

これほどの巨大戦艦も、逆に大きすぎたという事か…。
しかし世界一の巨大戦艦が、猛威をふるう事無く沈んだのは残念だが、戦後70年を経過しても、戦艦ヤマトは映画や漫画化され、人々の心の中で、正義のために戦っている。

夢と希望を乗せて、今なお大海原を航海している。
それだけインパクトがあり、すごい技術と装備であったという事だ。

私は漫画の世界でしか知らないが、写真で見ても恐ろしい。
日本の軍艦技術は、改めてすごいと感じる。

今の技術でも大和は作れないのではないか。。。

日本がいかに大日本帝国と言われ恐れられていたのかは、軍事技術そのものと、
命をなげうって国を守る正義感に世界が心打たれたからだろう。

今後も大和は未来を航海することになる。

その時々の国民の心の中で、様々な苦難と戦い、そして勝利するのだろう。
日本には大和をはじめとした軍艦が世界に名を遺い継承されている。

ものつくりの原点は、常にそこからはじまっている。
何とも勇ましく、素晴らしいことだろうか~。

日本には、軍事においても輝かしい栄光が残っている。




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[ 2015年03月28日 15:22 ] カテゴリ:日本社会 | TB(0) | CM(0)
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