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朝鮮戦争は「停戦」か「休戦」か、学界で議論?!

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「停戦」なのか、「休戦」なのか。60年前に6・25戦争(朝鮮戦争)を終わらせた協定について、韓国は長らく「休戦」という単語を使っていた。南北間の軍事境界線は「休戦ライン」であって、「停戦ライン」とは呼ばない。ところが最近は「停戦60周年」という単語を、ことのほかよく使っている。

韓国政府は現在、公式に「停戦60周年」という単語を用いている。国防部(省に相当、以下同じ)広報室は「『停戦』と『休戦』を意味上区別しているわけではない。将兵の精神教育でも両者を混用している」と語った。一方で最近、文化体育観光部の傘下にある大韓民国歴史博物館が特別展「休戦、そして大韓民国60年」を準備した際、用語を統一すべきだという韓国政府からの指摘により、タイトルの前に「停戦60周年記念」と付け加えたという。

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混用は、6・25戦争終結時から始まった。停戦協定文の英文には「arimistice」、中国語版および北朝鮮側の文書には「停戦」と記録されている。しかし韓国側の協定文翻訳版では、これを「休戦」と翻訳した。ソウル大学国際大学院の朴泰均(パク・テギュン)教授は、2006年に論文で「『停戦』は戦闘行為をやめることで、『休戦』は敵対行為を一時的に停止するにとどまり、戦争は続いている状態。北侵統一を主張していた李承晩(イ・スンマン)政権は、戦争が完全には終わっていないことを強調するため、この言葉(休戦)を用いた」と論じた。「戦闘行為が完全に終了したという意味を考慮すれば『停戦』の方がより正確」というわけだ。

反対意見もある。学術的に、停戦(truce)とは「国際機関の仲介により、交戦当事国の敵対行為を中止させること」で、休戦(arimistice)とは「交戦当事国が双方の合意により敵対行為を停止すること。敵対行為の停止状態」を意味する。例えば「停戦」は「休戦」の前段階で、一時的な概念なのに対し、「休戦」は持続的な概念になるという。延世大学政治外交学科の金明燮(キム・ミョンソプ)教授は「1953年7月の一時的な『停戦協定』が、その後の韓米相互防衛条約などにより、持続的な『休戦』に発展したと理解すべき」と語った。

しかし、韓国学中央研究院の李完範(イ・ワンボム)教授は「当時の状況では『停戦』と『休戦の差は大きくなかったが、最近になって、イデオロギー的傾向により異なる用語を使うケースが生じている』と語った。左派は停戦、右派は休戦という単語を好む傾向があるという。

(朝鮮日報)


朝鮮戦争(ちょうせんせんそう、1950年6月25日 - 1953年7月27日休戦)

成立したばかりの大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の間で、朝鮮半島の主権を巡り北朝鮮が、国境を越えて侵攻したことによって勃発した国際紛争。

戦線が絶えず移動を続けたことにより、地上戦が数度に渡り行われた都市も多く、最終的な民間人の犠牲者の数は100万人とも200万人とも言われ、全体で400万人~500万人の犠牲者が出たという説もある。内訳は北朝鮮側の死者250万人、韓国側は133万人で大多数が一般市民だった。

また、現在両国において日本統治時代の建造物が、同じく日本統治であった台湾に比べて極端に少ないのは、後の民族教育の一環で故意に破壊された事もあるが、それよりも目まぐるしく戦線が移動した上に、過酷な地上戦で建造物が破壊された朝鮮戦争の影響が強い。

アメリカ空軍は80万回以上、海軍航空隊は25万回以上の爆撃を行った。その85パーセントは民間施設を目標とした。56万4436トンの爆弾と3万2357トンのナパーム弾が投下され、爆弾の総重量は60万トン以上にのぼり、第二次世界大戦で日本に投下された16万トンの3.7倍である。

中国人民解放軍、北朝鮮軍に人的被害が特に多いのは、前述した如く旧式の兵器と人的損害を顧みない人海戦術をとった為に、近代兵器を使用した国連軍の大規模な火力、空軍力、艦砲射撃により大きな損害を被った事が一因とされる。

韓国軍は慰安婦を制度化して、軍隊が慰安所を直接経営することもあった。また、慰安婦で構成される「特殊慰安隊」と呼称された部隊は固定式慰安所や移動式慰安所に配属されており、女性達の中には拉致と強姦により慰安婦となることを強制されることもあった。

1951年6月23日にソ連のヤコフ・マリク国連大使が休戦協定の締結を提案したことによって停戦が模索され、1951年7月10日から開城において休戦会談が断続的に繰り返されたが、双方が少しでも有利な条件での停戦を要求するため交渉は難航した。1952年1月18日、実質的な休戦状態となったことで軍事的に余裕をもった韓国は李承晩ラインを宣言し竹島、対馬の領有を宣言して連合国占領下にある日本への強硬姿勢を取るようになった

詳細はこちらを参照。



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[ 2013年07月27日 13:12 ] カテゴリ:韓国政治 | TB(0) | CM(1)
「停戦」・「休戦」、言い方はどちらでも両方が銃を持ったままの待機状態
にいるわけです。開城会談の不調を受けて、北は油断ならないよという警告の
意味を込めた記事でしょうね。
[ 2013/07/27 14:38 ] [ 編集 ]
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