ジュガード―成功と成長のための戦略
インド西部グジャラート州の州都、アフマダーバードから旅すること400キロ。砂漠地帯にあるラーマクリシュナという村に到着した。わたしたち――シリコンバレーの経営コンサルタント、ケンブリッジ大学ビジネススクール教授、ミネアポリスの投資顧問会社とメディア企業の創設者の3人――は、数カ月前、この本格的研究のための調査旅行を始めた。先進国の企業が、困難と混乱に満ちたこの複雑な時代に立ち向かえるよう、イノベーションの新たな手法を新興市場で発見する。それがわたしたちのミッションだ。
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グジャラートに来たのは、インド経営研究所(IIM)のアニル・グプタ教授に会うためだった。グプタ教授は、非営利団体「ミツバチネットワーク」を運営し、インド中の草の根発明家を見つけ出して、交流の場を与えている。20年以上にわたって、一万件を超える起業家による発明のデータベースを作ってきた。起業家たちは、地域社会で直面する社会経済上の緊急な問題を、独創的な方法で解決している。グプタ教授はわたしたちに、ある起業家に会うよう勧めてくれた。
一直線に続くコンクリートの高速道路を降り、徐々に狭くなる砂利道へと進む。気温は50度。エアコンの効いたジープから一歩外に出ると、砂漠の熱がのしかかるように重く感じられた。
ムンサク・プラジャパティが工房の前で、わたしたちをあたたかく迎えてくれた。陶工職人である彼は、過去に粘土を使った耐久性の高い製品を試作している。その多くが「研究室」の外にあるオフィスにずらりと並んでいた。ひどく喉が渇いていたわたしたちに、彼は水を勧めてくれた。ありがたい。持参していた水はすでに飲み干してしまい、買おうにも周囲には売店らしきものが見当たらなかったからだ。彼はわたしたちにコップを渡し、誇らしげに顔を輝かせた。「冷たい水をどうぞ。この冷蔵庫に入っていますから」
わたしたちは困惑して、目の前にあるテラコッタの箱をじっと見つめた。扉部分はガラス製で、底に付いている蛇口はプラスチックだが、全体は粘土でできていた。冷たい水を飲んで生き返るような心地になりながら辺りを見たが、電気コードも、バッテリーも見当たらない。単なる粘土の塊だ。わたしたちの反応を楽しむように、プラジャパティはこの粘土製の冷蔵庫「ミティクール」の仕組みを説明してくれた。「ミティクール」(ミティはヒンディ語で「土」を意味する)は、上部に入れた水を側面に染みこませ、蒸発による気化熱を利用して下の食品庫を冷却する仕組みになっているらしい。電気をまったく使わず、100%自然に還元され、製品ライフサイクルにおける廃棄物もゼロである。すばらしい発明だ。
発明者であるプラジャパティの物語は、さらに興味深い。彼はNASAやワールプール社で働いたこともなければ、スタンフォード大学で量子物理学の博士号やMBAを取得したわけでもない。それどころか、高校すら出ていない。シンプルで風通しの良い研究室の床にはさまざまな形態の粘土が並べられ、壁際の隅に釜戸があるだけだ。GEやワールプールのような、何百人もの技術者や科学者であふれた広大な敷地とは大違いである。
2001年の地震で、プラジャパティが住む村とその周辺地域は大きな被害を受けた。被害状況を伝える地方紙を読んでいた彼は、「貧しい男性の冷蔵庫が壊れた」という見出しのついた写真を見つけた。そこには、砕けた粘土製の壺が写っていた。村では、汲んできた水を冷やしておくためにそうした壺が使われている。新聞は、その壺を「冷蔵庫」とからかって呼んだのだが、それがプラジャパティに最初のひらめきを与えた。そうだ、粘土だ。これで、村の人たちのために、本物の冷蔵庫を作ったら? 見た目は普通の冷蔵庫のままで、もっと安い、電気を必要としない冷蔵庫はどうだろうか? インドでは、5億人以上が電気のない生活をしている。プラジャパティの村の住民もほとんどがそうだった。果物や野菜、乳製品がときどきしか手に入らない砂漠の村で冷蔵庫を持つことができれば、健康面や生活スタイルに与えるプラスの効果は計り知れない。
陶工職人としての経験と直観から、「これはいける」という確信があった。数カ月間、実験を繰り返し、ついに実用可能となったミティクールを、村の人々に売りはじめた。米ドルにしておよそ50ドルのこの冷蔵庫は、ヒット商品となった。プラジャパティは設計の改良を続け、インド全土、さらには海外での販売に乗り出した。生産が追いつかないほど需要は増え、販売規模拡大の道を探らなければならなくなった――しかも早急に。
ここで、第二のひらめきが訪れた。熟練工の技術を工業的プロセスに変えたらどうだろう? 自分が持つ陶芸の知識を使えば、現代的な消費者のニーズを満たす製品を大量生産できるはずだ。そこでまず、まったく新しい、より効果的な粘土の扱い方を考え出した。それから、村の女性たちに製造方法を教え、彼女たちを新工場の従業員として雇用した。陶器製造の「小さな産業革命」が、このインド奥地の村で始まったのである。
ミティクールは、プラジャパティの工場で最初に作られた大量生産製品である。まもなく、次の粘土製品も考案された。こげつかず保温性に優れているうえ、わずか2ドルのフライパンだ。ひとりの人間のひとつのアイデアが、地味だが実りある産業へと成長し、コミュニティで多くの雇用を生み出し、インドや海外の消費者に製品を提供したのである。プラジャパティの革新的な発明は、安価だが高付加価値の製品と評され、インド大統領をはじめ、世界中から賞賛を集めた。フォーブス誌は、彼をインドで最も影響力のある地域起業家であり、多くの人々の生活に衝撃を与えた数少ないひとりだと称した。
即席で革新的な解決法を生み出す気概あふれる技術
ミティクールは逆境から生まれ、柔軟な考え方によって不足をチャンスに変えたアイデアである。プラジャパティは、資源が限られていても、あきらめることなく、同郷の隣人たちへの共感と熱意から独創的な解決法を見出して、グジャラートやその他の地域の人々の生活を向上させた。安価で便利な冷蔵庫を生産しただけではなく、教育を受けていない何十人もの女性の雇用も創出したのである。それによって、コミュニティの環境的、社会経済的な持続可能性を促し、自身のビジネスの財政的な持続可能性も確保した。これがジュガードの精神である。
ヒンディー語のジュガードとは、「革新的な問題解決の方法」とか「独創性と機転から生まれる即席の解決法」という意味だ。つまり、常識にとらわれない思考と行動によって問題に対処すること、どんな逆境にあってもチャンスをとらえ、シンプルな手法によって臨機応変な解決策を見出す。より少ないもので、より多くを成し遂げることなのである(わたしたちのウェブサイト、JugaadInnovation.com では、ジュガードに関する記事や動画を紹介している)。
インド人の大半が、日々ジュガードを実践している。彼らは、持っているものを最大限に活かす。日用品の新しい使い方を見つけるのもジュガードである。たとえば、台所にあるコカコーラやペプシの空き瓶は、乾燥豆やスパイスなどを保存するために再利用する。荷車にディーゼルエンジンを載せて、急ごしらえのトラックにするのもジュガードだ。ふだん使っているものから、新たに便利な道具を作り出すのである(実は、ジュガードの語源は、パンジャビ語で即席の乗り物のことらしい)。
「システムをうまく使う」ための独創的な方法も、ジュガードと呼ばれる。インドの何百万もの携帯電話ユーザーは、あらかじめ申し合わせたうえで「不在着信」を連絡手段として使っている。本文のない無料メールのようなものだ。たとえば、着信音が鳴り、あなたが電話に出る前に切れたとしたら、それは車の相乗りを約束した相手が、「今、家を出てあなたの家に向かっている」という合図である。そんなふうにジュガードとは、人によっては悪賢さを含むときもある。しかし、たいがいは、日常のさまざまな問題を賢く、そして合法的に解決するため、多くのインドの人々が実践している起業家的精神なのだ。
本連載(および書籍)では、ジュガードを武器に、コミュニティで起こった社会経済的問題を創造的に解決した起業家や企業について見ていきたい。ムンサク・プラジャパティのようなジュガード発明家は、電気がないという制約によって気持ちを挫かれることなく、それをチャンスととらえて克服する。
ジュガード的な起業家精神はインドに限られたものではない。中国やブラジルなどの新興国でも広く実践され、困難な状況下で起業家たちが成長を追求している。これをブラジルでは「ガンビアーラ」、中国では「自助創新(ツジュチュアンシン)」、ケニアでは「ジュアカリ」と呼んでいる。フランスには「システームD(デ)」という言葉がある。本書(書籍)では、アルゼンチン、ブラジル、中国、コスタリカ、インド、ケニア、メキシコ、フィリピンなどのジュガード精神を持つ起業家たちが、隣人たちを悩ます煩雑な問題を解決した、シンプルでありながら効果的な手法を紹介していきたい。彼らがいかに考え、行動するかを明らかにして、わたしたち先進国の人間が何を学べるかを探っていこう。
ナヴィ・ラジュ 、ジャイディープ・プラブ 、シモーヌ・アフージャ 著『イノベーションは新興国に学べ!―カネをかけず、シンプルであるほど増大する破壊力―』(日本経済新聞出版社、2013年)「第1章」から
ナヴィ・ラジュ Navi Radjou
ケンブリッジ大学ジャッジ・ビジネススクール フェロー。シリコンバレーを中心に戦略コンサルタントとして活躍。ダボス会議のファカルティ・メンバーであり、ニューヨーク・タイムズ紙、エコノミスト誌、ウォール・ストリート・ジャーナル紙などのメディアで取り上げられた。
ジャイディープ・プラブ Jaideep Prabhu
ジャワハルラール・ネルー大学教授。ケンブリッジ大学ジャッジ・ビジネススクールでディレクターを務めるほか、UCLA、インペリアル・カレッジ・ロンドンなどにも籍を置く。専門であるマーケティング、イノベーション、戦略の研究は、BBC News24、ビジネスウィーク誌、フィナンシャル・タイムズ紙など、数多くのメディアで特集されている。
シモーヌ・アフージャ Simone Ahuja
ブラッド・オレンジ創設者。新興国におけるマーケティング戦略のスペシャリスト。ペプシコ、P&G、ベストバイなどのフォーチュン100 企業や、ケンブリッジ大学ジャッジ・ビジネススクールのアドバイザーを務め、HBR.comにも寄稿している。
http://bizgate.nikkei.co.jp/article/13794917.html
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